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金沢地方裁判所 平成3年(ワ)321号 判決

原告

瀨川清

髙田功

右両名訴訟代理人弁護士

飯森和彦

被告

長谷川日登美

右訴訟代理人弁護士

澤田儀一

山本一三

主文

一  被告は、原告ら各自に対し、それぞれ金二八四万二二七五円及び右各金員に対する平成二年一月一六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを五分し、その三を原告らの負担とし、その余は被告の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り仮に執行できる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告ら各自に対し、それぞれ金七九八万三九七七円及び右各金員に対する平成二年一月一六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  本件交通事故(以下、「本件事故」という。)の発生

(一) 日時 平成二年一月一六日午後〇時五〇分ころ

(二) 場所 富山県東砺波郡城端町北野一三一〇番地先路上

(三) 加害車両 被告運転の軽四貨物乗用車(富山四〇こ八〇五九。以下、「加害車両」という。)

(四) 被害車両 訴外岡崎孝雄運転の普通乗用自動車(富五七せ二八一八。以下、「被害車両」という。)

(五) 態様 被告は、加害車両を運転して本件現場を西明方向から是安方向へと進行中、スピードの出しすぎから運転操作を誤り、カーブを曲がりきれず反対車線に飛び出し、反対車線を対向してきた被害車両と正面衝突し、その結果、被害車両の助手席に同乗していた訴外瀨川秀雄(当時七二歳。以下、「亡秀雄」という。)が傷害を負った。

2  責任原因

被告は、加害車両を保有し、これを自己のため運行の用に供していた者であるから、自動車損害賠償保障法三条本文に基づき、本件事故によって生じた損害を賠償すべき責任がある。

3  亡秀雄の受傷、治療経過等

(一) 亡秀雄の受傷と治療経過

亡秀雄は、本件事故により、左コーレス骨折・外傷性くも膜下出血・顔面挫滅創・頚椎捻挫・左膝擦過傷(以下、「本件傷害」という。)を負い、城端厚生病院に平成二年一月一六日から同年二月一八日までの三四日間入院し治療を受けた。

(二) 亡秀雄の自殺と本件事故との相当因果関係

(1) 亡秀雄は、本件事故以前は、身体・精神ともに健康であったが、本件事故により本件傷害を負った後は、入院生活を余儀なくされ、意識障碍の症状が見られるようになり、手指が思うように動かなくなり、それまでなかった失禁をするようになったことを悩み、元来他人に迷惑をかけずに何事も自分でやる性格であったことから、手等の傷害の予後、入院生活での同室者への気苦労、自宅療養になった場合の家族への迷惑等をあれこれ心配するに至り、次第に精神的に疲弊し、あるいは抑うつ状態ないしはこれに類似する状態を増強させ、ついに城端厚生病院を仮退院した翌日である平成二年二月一九日午前二時ころ、自宅(富山県東砺波郡〈番地略〉所在の瀨川正人方)付近の亀川用水において入水自殺するに至った。

(2) 一般に、自らに責任のない事故で傷害を受けた被害者は、自らにも責任のある事故で傷害を受けた者に比して、被害回復についての欲求が強く、受傷時の精神的ショックがいつまでも残りがちで、本人の性格的傾向やその他の生活上の要因と相まって神経症状態に陥り、更にはうつ病状態に発展しやすいこと、また、うつ病患者の自殺率は全人口の自殺率に比べると極めて高いことが認められるところ、被告の一方的過失により発生した本件事故により本件傷害を負った亡秀雄が、右のような経過により自殺することは通常人においても十分に予見することが可能であり、本件事故と亡秀雄の自殺との間においては相当因果関係を認めることができ、その寄与率は少なく見積もっても五〇パーセントはあるものである。

(三) 亡秀雄の転落死と本件事故との因果関係

仮に亡秀雄の死亡が、同人の痴呆を原因とした転落死であったとしても、同人には本件事故前は痴呆の症状は一切見られず、右事故後に痴呆の症状が初めて現れたものであり、本件事故と右痴呆症状の出現には因果関係が認められるから、本件事故と亡秀雄の転落死との間には十分に因果関係が認められ、そして、七二歳の老人が交通事故に遭えば右のような経過をたどり死亡に至ることについては、通常人においても十分に予見可能な事態であるから、本件事故と亡秀雄の転落死との間においては相当因果関係を認めることができる。この場合の寄与率も少なく見積っても五〇パーセントはあるものである。

4  亡秀雄の損害

(一) 治療費 金一〇四万六〇〇円

(二) 看護費用及び職業付添人への謝礼 金一九万九〇〇円

(1) 職業付添人の看護費用

金一六万一五〇〇円

平成二年一月一九日から同年二月六日迄の一八日間

(内訳)

日当手当分   金一四万四〇〇〇円

紹介手数料 金一万四九四〇円

交通費 金二五六〇円

(2) 近親者付添人の看護費用

金一万四四〇〇円

平成二年一月一六日から同月一九日迄の四日間

(3) 職業付添人への謝礼金

金一万五〇〇〇円

(三) 入院雑費  金四万八〇〇円

亡秀雄は、三四日間入院し、一日当たり金一二〇〇円で合計金四万八〇〇円の入院雑費を要した。

(四) 入院による慰謝料

金四五万円

(五) 亡秀雄の死亡による逸失利益

金八九九万五七円

亡秀雄は、事故当時七二歳であり、国民年金として年額金二三万四〇〇円、厚生年金として年額金九四万八五〇〇円、陸軍軍人普通恩給として年額金七〇万七〇一八円の支給をそれぞれ受けていたもので、本件事故に遭遇しなければ、平成元年簡易生命表による満七二歳男子の平均余命である11.35年を下回る一〇年間右金額を下らない収入を得られたはずであるから、これを基礎に、生活費控除率を四〇パーセントとして、新ホフマン方式計算法により年五パーセントの割合による中間利息を控除して、逸失利益を算出すると、金八九九万五七円となる。

(六) 死亡による慰謝料

金一八〇〇万円

(七) 既払金

金一二一万六五〇〇円

被告は、本件事故の損害賠償の一部として、(一)の治療費金一〇四万六〇〇円、(二)の職業付添人及び近親者付添人の看護料合計金一七万五九〇〇円の合計金一二一万六五〇〇円を既に支払っている。

従って、亡秀雄の損害金額残額は、(一)ないし(四)の合計額並びに(五)及び(六)の合計額に前記3(二)記載の因果関係の存する割合(五〇パーセント)を乗じた金額の総合計額から(七)の既払額を控除した金一四〇〇万八二八円となる。

5  原告らの相続

原告らは、いずれも亡秀雄の子であり他に相続人はいないことから、法定相続分に従い各二分の一ずつの割合で亡秀雄の損害賠償請求権を相続した。よって、原告らは、それぞれ前記金一四〇〇万八二八円の二分の一である金七〇〇万四一四円の損害賠償請求権を相続する。

6  葬儀費用

各自金五六万七一二七円

原告らは、亡秀雄の葬儀を行い、その費用として金一一三万四二五四円を原告らがそれぞれ二分の一ずつの割合で分担し負担した。

従って、原告らは、それぞれ右5記載の金七〇〇万四一四円に右金五六万七一二七円に前記3(二)記載の因果関係の存する割合(五〇パーセント)を乗じた金額の合計額金七二八万三九七七円の損害賠償請求権を有する。

7  弁護士費用 各自金七〇万円

原告らは、原告訴訟代理人に対して、本件損害賠償請求手続を依頼し、その費用として右損害額の約一割に相当する金七〇万円をそれぞれ支払う旨を約した。

よって、原告らは、被告に対し、自動車損害賠償法三条本文に基づき、本件事故による損害賠償として、それぞれ損害金合計金七九八万三九七七円及び本件事故発生日である平成二年一月一六日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1及び2の各事実は認める。

2(一)  同3(一)の事実については、亡秀雄が城端厚生病院に入院していた期間については否認し、その余は認める。亡秀雄が同病院に入院したのは平成二年一月一六日から同年二月一九日までの三五日間である。

(二)(1)  同3(二)(1)の事実については、亡秀雄が、平成二年二月一九日午前二時ころ、自宅(富山県東砺波郡城端町西明二九〇番地所在の瀨川正人方)付近の亀川用水において死亡したことは認めるが、亡秀雄が入水自殺により死亡したとの点は否認する。

亡秀雄は、転落事故により死亡したもので、入水自殺により死亡したものではない。

亡秀雄が溺死状態で発見された亀川用水は、最も深い水溜まり部分の水深が七〇センチメートルで、かつ用水路の幅もそれほど広くなく、自殺を図るには不自然な工作物であること、本件事故による亡秀雄の傷害の程度は将来の生活にひどい支障を残すようなものではなく、また脳外科的にも快方に向かっていたもので、自殺の理由に値する重い症状はなかったこと、亡秀雄が溺死状態で発見された当時は、冬期であったが、防寒着もまとわぬ寝巻き姿で発見され、また、左足のみにスリッパを履いており、右足に履いていたと思われるスリッパは、用水の土手上で発見されていること等に照らすと、亡秀雄が痴呆により夜間外出し、夢遊病者の如く右用水路の付近を徘徊しているうち、誤って右用水路に転落し、コンクリートに頭部を打って擦過傷を負い、意識を失い、あるいは、もうろうとした状態で用水内を徘徊中に倒れて溺死したものと考えるのが合理的である。

(2) 同3(二)(2)のうち、本件事故と亡秀雄の死亡との間に相当因果関係があるとの点を否認する。

仮に亡秀雄が入水自殺したとしても、本件事故と自殺との間には相当因果関係はない。

交通事故により傷害を負い、それにより生じた諸症状に対する苦痛、その治癒の見込みに対する不安から抑うつ状態に陥り、そのために自殺を図ることは決して稀なことではないから、このような場合に事故と自殺との間には事実上の因果関係があるということができる。しかし、本件事故で亡秀雄が負った傷害の程度は右(1)記載のとおり重度のものではなく、この程度の傷害により抑うつ状態に陥ることは通常人において予測できないものである。抑うつ状態に陥り、自殺に至るか否かは、その素質ないし資質、生活環境、年齢、境遇等に大きく左右されるものであり、これらは亡秀雄に固有な事情という他なく、これらを被告において予見することは不可能である。

(三)  同3(三)は争う。

亡秀雄の死因が転落事故死であるとするならば、このことを被告が予見することは不可能であり、本件事故と転落事故による死亡との間には相当因果関係はない。

3(一)  同4(一)の事実は認める。

(二)(1)  同4(二)(1)及び(2)の各事実は認める。

(2)  同4(二)(3)の事実は争う。本件事故と相当因果関係はない。

(三)  同4(三)の事実は争う。一日当たり金一〇〇〇円が相当である。

(四)  同4(四)ないし(六)の各事実は争う。

(五)  同4(七)の事実は認める。

4  同5の事実のうち、原告両名が亡秀雄の相続人であることは認める。その余は不知。

5  同6の事実は争う。

6  同7の事実は不知。

第三  証拠〈省略〉

理由

一本件事故の発生について

請求原因1の事実(本件事故の発生)は、当事者間に争いがない。

二責任原因について

請求原因2の事実(責任原因)は、当事者間に争いがなく、これによれば、被告は、自動車損害賠償保障法三条本文に基づき、本件事故によって生じた損害を賠償すべき責任がある。

三亡秀雄の受傷及び治療経過について

請求原因3(一)(1)の事実のうち、亡秀雄が、本件事故により、左コーレス骨折・外傷性くも膜下出血・顔面挫滅創・頚椎捻挫・左膝擦過傷を負い、城端厚生病院に入院した事実については、当事者間に争いがなく、右城端厚生病院に入院した期間については、〈書証番号略〉並びに証人税光澄子及び証人瀨川正人の各証言によれば、亡秀雄は、城端厚生病院に平成二年一月一六日から同年二月一八日までの三四日間入院した事実が認められる。

四亡秀雄の死亡と本件事故との間の相当因果関係について

1  亡秀雄の死亡について

請求原因3(二)(1)の事実のうち、亡秀雄が、平成二年二月一九日午前二時ころ、自宅(富山県東砺波郡城端町西明二九〇番地所在の瀨川正人方)付近の亀川用水において死亡したことは、当事者間に争いがないが、亡秀雄の死亡が入水自殺なのか転落による事故死なのかについては、当事者間に争いがあるので、この点について判断する。

(一)  〈書証番号略〉、証人石井のぶ子、証人税光澄子、証人瀨川正人、証人飯田裕司及び証人高島義裕の各証言、原告瀨川清本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、次の各事実が認められ、これを左右するに足りる証拠はない。

(1) 亡秀雄は、農業に従事した後、繊維会社に勤務し会計事務に従事していたが、昭和六〇年三月ころ右繊維会社を退職し、その後、近くの城端別院御堂番をし、昭和六三年ころからは自宅の留守番をする他、老人会の会計事務をするなどしていた。

(2) 亡秀雄は、のんびりした温和な性格であったが、他人に迷惑をかけることを非常に気にする性格で、何事も自分でするタイプであった。本件事故当時の亡秀雄の健康状態は、便秘ぎみであった他は心身ともに特に異常はなく、健康であった。

(3) 亡秀雄は、本件事故により本件傷害を負い、直ちに城端厚生病院に入院したが、入院直後から頭部外傷・外傷性くも膜下出血による脳障害が原因で時々意味不明のことを話すいわゆるボケ症状が見られ、また、同年一月二〇日ころには、右外傷性くも膜下出血の症状が当初より増大し脳外科の医師の判断としては要注意の状態であったが、その後次第に症状が改善し、同月二九日には手術は必要ないとの診断になり(同日ころには、脳神経外科の医師としては退院可能と判断していた。)、同年二月五日の時点においては脳神経外科の医師から退院許可が出るまでに回復した。

左手のコーレス骨折は、将来的に生活にひどい障害を残すような骨折ではなく、順調に回復し、同年一月二九日の時点においては、副子(ギプス)は装着していたものの、整形外科の医師としては退院許可を出せるほどに回復していた。

(4) 亡秀雄の入院当初の状態は、目が虚ろで元気がなく茫然としており、病院にいるにもかかわらず城端別院にいるとか、後ろで自分を動かしている者がいるというような現実とは異なる意味不明のことを話したりすることが時々あり、また、時間の感覚にも異常が見られ、実際は五分しか経っていないのに三〇分に感じたり、深夜と朝を間違えたりすることがあった。また、本件事故後は、それまではなかった失禁をするようになり、服装も寝巻きがはだけたままであるというだらしない状態のときがあった。

その後、少しずつ元気を回復し、歩行は正常ではないものの杖をつかずにできるようになったが、左手のギプスがなかなか取れず、手が自由に動かせないことから、ギプスが取れるのはいつなのか、左手の怪我が治ったとしても他人に迷惑をかけることにならないか等について心配していた。

平成二年二月一三日ころ、亡秀雄は病院の都合により大部屋に移ったが、同室の他の患者に非常に気を使うようになり、同室の他の患者がどこかに行くと、自分がいるから余所に行ったのではないかとか、検査のため食事をしない人がいると、食べないのは自分のせいではないかと言ったりすることがあり、また、食事は、ベッドを汚すかもしれないということで、床の上に座ってしていた。

(5) 同年二月五日ころには、病院から退院の許可が出たが、引受先の瀨川正人宅では、昼間は誰も世話する人がおらず、亡秀雄を療養させる態勢が整わないことから、瀨川正人は、もう少し病院で療養させてから退院させた方がいいと判断し、入院を継続していた。

亡秀雄は、病院にいると回りの人に気を使うことから、自宅に帰ることを望んでいたものの、他方において、自宅に戻っても一人では何もできず、家族に迷惑をかけるのではないかと心配し、元気のない状態が続いていた。

同年二月一六日ころ、亡秀雄が自宅に帰ることを強く希望したことから、同月一八日から一九日にかけて仮退院することになった。

仮退院の日である同月一八日の朝の亡秀雄の様子は、目が虚ろで寂しそうな様子であり、前夜は殆ど寝ていないようであった。

(6) 同日、自宅に戻ってからの亡秀雄の様子は、昼間はテレビを見たりして過ごしていたが、ふさぎこんだ様子で口数も少なかった。また、昼間、法事で貰ってきた餅を食べた際、亡秀雄は「食べ納めではないかな。」と言ったり、死亡した用水路付近を道路に沿って歩いたりしていた。

夜は、瀨川正人も含めて家族で食事をしたが、特に相談ごとはなく、亡秀雄は、口数は少なく午後九時ころに就寝した。

その後、翌同月一九日午前二時ころ、瀨川正人の娘である真紀子が台所横の勝手口付近で音がしたのを聞いており、このころ亡秀雄が寝巻姿でスリッパを履いて外出したものと思われる。なお、亡秀雄が深夜外出しなければならない理由は特に見当たらない。

(7) 同月一九日午前六時ころ、亡秀雄は、富山県東砺波郡〈番地略〉所在の瀨川正人方の南東方向約六〇メートルの亀川用水の水溜まりにおいて、頭部を下流に向け、左足だけスリッパを履き、寝巻姿のまま、左手を腹の下に抱えるようにし、右手を上に延ばしたうつ伏せの格好の水死体で発見された。

(8) 亡秀雄の死体が発見された当時の現場付近の状況等は次のとおりである。

ア 亡秀雄の死体が発見された場所は、瀨川正人宅から南東方向約六〇メートルの地点の亀川用水であり、亀川用水に架かる町道の橋の下流側のすぐ近くの水溜まりである。

イ 死体発見現場付近の亀川用水は、三方がコンクリート製であり、用水路の幅は底面で約一メートルであり、町道の橋の下流側は段差が設けられており、その段差の直下部分は底面が掘り下げられており水溜まりとなっている。

ウ 死体発見当時の亀川用水の水深は、死体発見場所は約七〇センチメートルであり、町道から約一二メートル下流の地点では約一二センチメートルであった。

エ 亀川用水の下流に向かって右側の土手上、町道の橋の下流約一二メートルの地点に亡秀雄が履いていたと思われるスリッパが残されていた。

オ 亡秀雄の右側頭部には、縦九センチメートル、横六センチメートルの擦過傷が付いていた。

カ 死体発見当時の現場付近は、積雪はなく、地面も凍結してはいなかった。

(9) 亡秀雄の死亡について捜査した富山県警福光警察署の飯田裕司警部補は、亡秀雄の家族や病院関係者等から事情聴取した上、亡秀雄は深夜に外出する理由がないこと、交通事故で入院してから足腰の衰えを自覚するようになったこと、相談ごとがあるということで仮退院したにもかかわらず、家族とは特に口をきかなかったこと等から、亡秀雄の死亡原因を交通事故の後遺症を苦にしての自殺と推定している。

右の各事実を総合すると、亡秀雄は、本件事故により、本件傷害を受け、入院治療を受けたが、左手の怪我の回復状況について強い不安を抱き、失禁するようになったことや左手の自由がきかなくなったことを悩み、元来他人に迷惑をかけることを気にし、何事も自分でする性格であったことから、入院中の同室者や自宅療養になった場合の家族への迷惑等を心配するに至り、次第に抑うつ状態又はこれに類似した状態に陥り、遂には、この先ずっと他人に迷惑をかけるよりは自殺した方がよいと考えるに至り、自殺したものと推認される。

(二)  これに対して、被告は、亀川用水の形状が自殺をするには不自然であること、本件傷害が自殺の理由に値するほど重い症状ではなかったこと、亡秀雄が右足に履いていたと思われるスリッパが亀川用水の土手上で発見されていること等を根拠にして、亡秀雄は、痴呆により夜間外出し、夢遊病者の如く右用水路の近くをを徘徊しているうち、誤って転落し溺死したものと主張する。

しかし、亀川用水路の亡秀雄の死体が発見された地点付近の形状は、段差がつけられ、下流部分は深く掘り下げられて水溜まりになっている部分であり、水深も約七〇センチメートルあり、自殺するに不適当な場所とは必ずしも言えないこと、また、亡秀雄のように抑うつ状態又はこれに類似した状態に陥った者が、冷静に確実に自殺できる方法を選んで自殺を図るとは必ずしも言えないこと、左手の怪我が将来の生活にひどい障害を残すほどのものではなく、脳障碍も快方に向かっており、自殺を余儀なくされるような重い傷害を負っていないとしても、亡秀雄のように、他人に迷惑をかけることを非常に気にし、何事も自分でする性格の人の場合は、今後の生活において他人に迷惑を掛けるおそれがあると考え、そのことを非常に気にし、抑うつ状態又はこれに類似した状態に陥り、遂には自殺に至ることも十分に有り得ること、亡秀雄が右足に履いていたと思われるスリッパが右用水路の土手上で発見されている事実から、亡秀雄が右スリッパが発見された場所付近から右用水路に入ったことが推定されるが、それ以上に、自殺ではなく転落による事故死であると直ちに推定するには無理があること、更に、本件全証拠を検討しても、亡秀雄が深夜外出する必要がある理由としては自殺以外には特に見当たらないこと、入院中に痴呆状態になって夜間徘徊した事実は認められないこと等に照らすと、被告主張の各事実は、いずれも亡秀雄が自殺したとの推認を妨げるに足りるものではないと認められ、結局、被告の主張は採用できない。

2  本件事故と亡秀雄の自殺との間の相当因果関係について

前記のように、亡秀雄は、本件事故により、本件傷害を受け、入院治療を受けたが、左手の怪我の回復状況や失禁するようになったこと等を悩み、元来他人に迷惑をかけることを気にし、何事も自分でする性格であったことから、入院中の同室者や自宅療養になった場合の家族への迷惑等を心配するに至り、次第に抑うつ状態又はこれに類似した状態に陥り、遂には自殺したものと認めることができる。

そして、交通事故における被害者が、その傷害の回復状況や後遺症に悩まされがちであること、その結果、その苦痛に悩まされた被害者が著しい精神的苦痛からうつ状態又はこれに類似した状態に陥り、遂には自殺を図って死亡するということは、被告のみならず通常人においても予見することが可能であるというべきであるから、本件事故と亡秀雄の自殺との間には相当因果関係があるものというべきである。

もっとも、加害行為と発生した結果やこれによる損害との間に相当因果関係がある場合でも、その結果や損害が、加害行為によって通常発生する程度や範囲を超えるものであり、かつ、その損害の拡大について被害者の心因的要素等が寄与しているときには、被害者の被った損害の全てを加害行為によるものとして加害者に賠償させることは、加害者に対し酷に失するものと考えられ、損害の公平な分担という法の要請から、損害賠償額を定めるにあたり、民法七二二条二項を類推適用して、その損害の拡大に寄与した被害者の事情を斟酌するのが相当であると解されるところ、被害者が自殺した場合は、被害者が自殺を選択した自由意思の程度や通常人が同一の状態におかれた場合の自殺を選択する可能性等を検討しながら、事故による受傷の自殺への寄与度を勘案し、その割合に応じて被告に賠償責任を認めるのが相当である。右の見地から亡秀雄の損害に対する本件事故の寄与度をみると、亡秀雄の左手の骨折は将来の生活に支障を生ぜしめる程のものではなく、脳障碍も次第に回復してきていたことに照らすと、これらは結局自殺を余儀なくされるほどの傷害とは言えず、亡秀雄と同様な症状に苦しむものが必ずしも皆うつ状態に陥って自殺に追い込まれるというほどのものではなく、亡秀雄がうつ状態又はこれに類似した状態に陥り自殺に至ったのは、亡秀雄が他人に迷惑をかけるのを極度に気にするという多分に神経質な性格や心因的要因によるところが極めて大であると認められ、前記1において認定した諸事情を併せ考えると、亡秀雄の蒙った損害のうち死亡による損害に対する本件事故の寄与度は二〇パーセントとみるのが相当である。

五亡秀雄の損害について

1  治療費  金一〇四万六〇〇円

請求原因4(一)の事実は当事者間に争いがない。

2  職業付添人及び近親者の看護料

金一七万五九〇〇円

請求原因4(二)(1)及び(2)の各事実は当事者間に争いがない

3  職業付添人への謝礼について

原告瀨川清本人尋問の結果によれば、亡秀雄が職業付添人に謝礼として合計金一万五〇〇〇円を支払ったことが認められるが、このように贈与として行われる謝礼は、贈与する者の職業付添人に対する感謝の意を表すものであって、任意に支払われるものであり、本件事故との間に相当因果関係がある損害と認めることはできないと解するのが相当である。

4  入院雑費 金四万八〇〇円

前記三において認定したとおり、亡秀雄は、城端厚生病院に平成二年一月一六日から同年二月一八日までの三四日間入院したことが認められ、その入院期間中、諸雑費の出捐を行ったことが推認され、その費用としては一日当たり金一二〇〇円が相当と考えられることから、入院雑費としては金四万八〇〇円が相当である。

5  入院による慰謝料

金四五万円

前記認定の本件事故の態様、亡秀雄が本件事故により負った傷害の内容及び程度、入院経過、亡秀雄の年齢・生活状況・家族関係ほか、本件訴訟の審理に現れた一切の事情を考慮すると、亡秀雄の入院による慰謝料額は金四五万円と認めるのが相当である。

6  亡秀雄の死亡による逸失利益

金八七万三七五〇円

〈書証番号略〉によれば、亡秀雄は、平成元年四月以降、国民年金法に基づく通算老齢年金として年額金二三万四〇〇円、厚生年金法に基づく老齢年金として年額金九四万八五〇〇円及び陸軍軍人普通恩給として年額金七〇万七〇一八円の支給をそれぞれ受けていたことが認められる。亡秀雄は、死亡により右通算老齢年金、老齢年金及び陸軍軍人普通恩給の受給権を喪失し、本件事故がなければ取得していたはずの右各年金額に相当する利益を違法に喪失させられたものであるから、被告に対し、その賠償を求める権利がある(これらのうち、通算老齢年金及び老齢年金については、受給権者の最低限の生活保障をするという生活保障的側面が強いことから逸失利益性が問題となるが、これらの年金においても損失保障的性格がないとはいえないこと等から、なお逸失利益は認められると解するのが相当である。)。

前記四の1において認定した本件事故以前の亡秀雄の心身の状況からすれば、亡秀雄は本件事故に遭わなければ、平成元年簡易生命表による満七二歳男子の平均余命である11.35年を下回る一〇年間につき、少なくとも右通算老齢年金、老齢年金及び陸軍軍人普通恩給の合計金年額金一八八万五九一八円の支給を受けることができたものと認められる。そして、亡秀雄の死亡により支出を免れる生活費の割合については、亡秀雄の家族構成、収入状況等に鑑みると、生活費控除率は七〇パーセントと認めるのが相当である。更に、前記四の2において認定したとおり本件事故の死亡に対する寄与度は二〇パーセントと認めるのが相当であるから、ライプニッツ方式により年五分の割合による中間利息を控除して、亡秀雄の逸失利益の本件事故時における現在価格を算定すると、次のとおり金八七万三七五〇円となる。

1,885,918円×0.3×0.2×7.7217

=873,750円(四捨五入)

7  死亡による慰謝料 金三六〇万円

前記認定の本件事故の態様、亡秀雄が本件事故により負った傷害の内容及び程度、入院経過、亡秀雄の年齢・生活状況・家族関係ほか、本件訴訟の審理に現れた一切の事情を考慮すると、亡秀雄の死亡による慰謝料額は、一八〇〇万円と認めるのが相当であるところ、前記四の2において認定したとおり本件事故の死亡に対する寄与度は二〇パーセントと認めるのが相当であるから、亡秀雄の死亡による慰謝料額は金三六〇万円となる。

8  既払額  金一二一万六五〇〇円

請求原因4(七)の事実は当事者間に争いがない。

9  以上によれば、亡秀雄の損害は、右1、2、4ないし7の合計額金六一八万一〇五〇円から右8の既払額を控除した金四九六万四五五〇円となる。

六原告らの相続

〈書証番号略〉によれば、原告らは亡秀雄の子であり(この事実は当事者間に争いはない。)、他に亡秀雄の相続人はいないことが認められるから、原告らは本件事故に基づく亡秀雄の損害賠償請求権を相続により各自二分の一の割合で取得したものである。従って、原告らは、各自金二四八万二二七五円の損害賠償請求権を取得した。

七葬儀費円 各金一〇万円

〈書証番号略〉並びに原告瀨川清本人尋問の結果によれば、亡秀雄の葬儀費用として原告らが合計金一一三万四二五四円(各二分の一の割合)の支払いをしたことが認められるところ、亡秀雄の年齢、社会的地位その他諸般の事情を併せ考えると、右支出額のうち金一〇〇万円が本件事故と相当因果関係のある葬儀費用と認めるのが相当である。更に、右葬儀費用は、亡秀雄の死亡により被った損害であるから、前記四の2において認定したとおり本件事故の死亡に対する寄与度は二〇パーセントと認めるのが相当であるから、原告らは、それぞれ金一〇万円の損害賠償請求権を取得する。

八弁護士費用 各金二六万円

原告瀨川清本人尋問の結果によれば、原告らが本訴訟の提起及び遂行を原告ら代理人に委任し、その報酬として各自金七〇万円を支払う旨約したことが認められるが、本件事案の内容、審理の経過、認容額等に照らすと、原告らが本件事故と相当因果関係があるものとして被告に対し賠償を求めうる弁護士費用の額は、それぞれ金二六万円と認めるのが相当である。

九結論

以上によれば、原告らの本訴請求は、それぞれ金二八四万二二七五円及び不法行為の日である平成二年一月一六日から各支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の各支払いを求める限度において理由があるからこれを認容し、その余の請求はいずれも理由がないからこれらを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条本文、九三条一項本文を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官古川龍一)

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